ベルリオーズ「幻想交響曲」解説とおすすめの名盤
目次
まずはダイジェストで聴いてみよう!
静寂の中、響き渡る鐘の音、やがてファゴットとチューバが重々しく奏でるのはグレゴリオ聖歌にある「怒りの日」の旋律です。
まずは終楽章「サバトの夜の夢」をダイジェストで聴いてみましょう。
マリス・ヤンソンス指揮:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
イスタンブール 聖イレーネ聖堂(ヨーロッパ・コンサート2001より)
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ベルリン・フィルが毎年5月にヨーロッパ各地のホールや歴史的建造物を巡る「ヨーロッパ・コンサート」。
その25周年を記念し、1991年~2015年の25年分のヨーロッパ・コンサートの様子が収録されています。
作曲の背景
幻想交響曲(仏:Symphonie fantastique)作品14はフランスの作曲家、エクトル・ベルリオーズ(1803-1869)が1830年、26歳の時に作曲した交響曲です。
1827年、パリ音楽院で学び、フランスの作曲家の登竜門として有名なローマ大賞に挑戦していた23歳のベルリオーズは、イギリスのシェイクスピア劇団がパリ公演で演じた悲劇「ハムレット」を観る機会を得ます。
多感な青年ベルリオーズはここで一人の女性と運命的な出会いを果たします。
彼女の名前はハリエット・スミスソン(1800-1854)、この「ハムレット」で悲劇のヒロイン、オフィーリアを演じた人気女優です。
スミスソンに一目惚れしたベルリオーズは手紙を出したり、面会を申し込むなど猛烈なアプローチを始めます。
しかし、この想いはベルリオーズの一方的なもので、スミスソンにとってはベルリオーズは数多いファンの一人にほかならず、現代風に言うと、ちょっとしつこいストーカーのような存在であったのかも知れません。
ベルリオーズは激しく落胆し、その歪んだともいえる激しい情念は彼女に殺意を抱くほどであったと伝えられています。
そんなベルリオーズが思いついたのが、この(一方的な)失恋体験を壮大な音楽作品として発表しようと言うアイデアです。
こうしてベルリオーズの激しい情念はやがて交響曲の歴史に残る作品として昇華していくことになります。
ベルリオーズはこの交響曲の各楽章に標題を付けた上で、観客に配られたプログラムにはこの交響曲の「ストーリー」とも言える解説文を掲載しました。
こうした情景や物語を音楽で表現する「標題音楽」と言うジャンルはそれまでにも存在していました。
ベートーヴェンが1808年に初演した「交響曲第6番《田園》」では、各楽章に標題が付けられ、田舎の美しい風景や自然、それを見る人が感じる豊かな感情などが音楽として描写されています。
このベートーヴェンの「田園交響曲」が標題音楽の先駆け的な作品だとすれば、ベルリオーズの「幻想交響曲」は標題音楽と言う分野を確固たるものにし、それから花開くロマン派の音楽への重要な転換点となる作品です。
余談ですがベルリオーズがスミスソンと運命的な出会いをした1827年にベートーヴェンはこの世を去っています。
ベルリオーズがこの作品のプログラムに書いた内容については後の楽曲解説でも詳しく触れますが、大筋は次のようなものでした。
激しく恋心を抱いた女性に失恋した若き芸術家は絶望のあまりアヘンを飲んで自殺を図ります。
生死の境をさまよう芸術家は薄れゆく意識の中で奇怪な夢を見ます。夢の中で芸術家は愛した女性を殺し、その罪から死刑を受けることになります。
断頭台で首を切られた芸術家は、亡霊や化け物の集う魔女の響宴に遭遇します。そして、そこに現れたのはグロテスクな姿に変わり果てた、彼があれほど愛した女性だったのです。
もちろん若き芸術家とはベルリオーズ自身のことで、愛した女性とはスミスソンの姿を重ねていることは言うまでもありません。
スミスソンはシェイクスピア劇団の人気女優だったわけで、その女優に失恋してアヘン自殺しようとする自分自身のストーリーを音楽として発表し、ご丁寧にそのストーリーをプログラムとして発表した訳ですから、ベートーヴェンの音楽でさえ革新的とされた当時としては、かなりセンセーショナルな出来事だったのではなかったでしょうか。
ベルリオーズは完成後、何度も作品とこのプログラムに手を加えて、この作品へのこだわりをみせています。
さらにベルリオーズはこの「幻想交響曲」の中で、「イデー・フィクス」(固定楽想、固定観念)と呼ばれる手法を取り入れています。
これはこの作品の中で、若き芸術家が愛した女性を表現する特定の旋律が何度も形を変えながら登場し、その旋律が現れることによって変わりゆく女性の姿を表現しています。
「イデー・フィクス」などと言うと難解に聞こえますが、簡単に言えば「愛する女性のテーマ」を取り入れたと言うことです。
後にワーグナーは「ライトモティーフ」と言う名前で、作品に登場する人物などを表現しましたが、それに繋がるものであったと言えるでしょう。
クラシック初心者の方には少しわかりにくいかも知れませんが、映画『スター・ウォーズ』に出て来る「ダース・ベーダーのテーマ」を思い起こしていただけるとわかりやすいかと思います。
この旋律を聴いただけで、ダース・ベーダーが現れる前から、その登場を予感し、場面が変わったことに気づかれるのではありませんか?
実際にこの「幻想交響曲」の中で、どのように「イデー・フィクス」が扱われているかについては、次の楽曲解説でも触れていますので、あわせてお読みください。
何かここまでお読みになるとベルリオーズのスミスソンに対する愛情を超えた執念のようなものを感じますが、実はこの作品が作曲された1830年にはベルリオーズは既に別の女性、ピアニストのマリー・モークと恋愛関係にありました。
彼女とは婚約にまで至りますが、翌1831年に彼女の母親によって破局させられることになります。
ベルリオーズはモーク母娘を殺して自分も死のうとしたほどの激情に駆られたそうですが、この逸話からもベルリオーズの狂気と紙一重の情念が感じられます。
余談ですがベルリオーズと破局したこのマリー・モークは作曲家、ピアノ制作でも有名なプレイエルの息子カミーユ・プレイエルと結婚しています。
再び失恋をしたベルリオーズでしたが、その後、「幻想交響曲」の演奏を聴きに来ていたスミスソンと運命的な再会を果たすことになります。
結局、1833年にスミスソンと結婚し、当初の想いを果たしたベルリオーズでしたが、ほどなく二人の関係は冷え込み10年後の1843年には別居することになります。
1854年、別居中のスミスソンが病気のために54歳でこの世を去ると、かねてよりの愛人であった10歳年下のソプラノ歌手マリー・レシオと再婚をします。
スミスソンとの間に生まれた一人息子、ルイに宛ててベルリオーズが書いた手紙には次のように書かれていたそうです。
「私は一人で生きることもできないし、また14年来一緒に暮らしてきた女性を見捨てることもできなかった」
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』エクトル・ベルリオーズ
ベルリオーズ「幻想交響曲」解説
※解説の中に記しているプログラムはベルリオーズが1855年に手を加えたもので、日本語訳は全てウィキペディアから引用しています。
引用:フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)「幻想交響曲」
病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。麻酔薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現われる。愛する人その人が、一つの旋律となって、そしてあたかも固定観念のように現われ、そこかしこに見出され、聞えてくる
第1楽章「夢、情熱」(Rêveries, Passions)
彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、そして、彼が愛する彼女を見る。そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み
冒頭、「夢」のタイトル通り、愛する人に出会うまでの漠然とした憧れと不安を表現するようなゆっくりとした序奏が奏でられます。
一転してテンポが速くなり活気を帯びると、やがてヴァイオリンとフルートによって、ベルリオーズが「イデー・フィクス」(固定楽想、固定観念)と呼んだ、愛する女性を表す主題が奏でられます。(譜例①)
この「イデー・フィクス」(固定楽想、固定観念)すなわち若い芸術家が愛した女性を表す主題は、この後も作品の中で形を変えて現れ、全楽章を統一する重要なモチーフになります。
「イデー・フィクス」が現れる前に打ち鳴らされる短い打撃音は愛する女性にはじめて出会った心の動悸のようにも感じます。(譜例②)
第1楽章に現れる「イデー・フィクス」は愛する女性に出逢った喜びと胸の高まりを感じさせ、まるで春の訪れを楽しむかのような雰囲気に包まれています。
3小節のブレイクを挿み、再び「イデー・フィクス」が奏でられた後は、明るい表情の中にも所々に不安や焦燥感を感じさせるような響きや旋律を感じるようになります。
プログラムノートには「胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰」と書かれてあります。
音楽は様々な表情を見え隠れさせながら展開しますが、最後は「イデー・フィクス」がとても優しい表情で再現し、まるで若い芸術家が神に祈る姿が見えるかのような響きを残し、静かに第1楽章を終えます。
第2楽章「舞踏会」(Un bal)
とある舞踏会の華やかなざわめきの中で、彼は再び愛する人に巡り会う
第2楽章は舞踏会で演奏される優雅で軽やかなワルツです。(譜例③)
優雅なワルツにハープがより華やかな彩りを添えます。やがて華やかな舞踏会の途中、若き芸術家が再び愛する女性に巡り合うかのように「イデー・フィクス」がフルートとオーボエによって奏でられます。(譜例④)
やがて、この「イデー・フィクス」は徐々にワルツの旋律が大きくなると共に消され、それはあたかも舞踏会の雑踏の中へ消えていく愛する女性の姿を目で追う若き芸術家を表現しているかのようです。
舞踏会が再び華やかに展開されるようにワルツが奏でられますが、愛する女性の姿を垣間見るかのように「イデー・フィクス」も挿入されます。
最後は愛する女性の姿を探す芸術家をよそ目に、華やかな舞踏会の幕が下ろされます。
第3楽章「野の風景」(Scène aux champs)
ある夏の夕べ、田園地帯で、彼は2人の羊飼いが「ランツ・デ・ヴァッシュ」(Ranz des vaches)を吹き交わしているのを聞く。牧歌の二重奏、その場の情景、風にやさしくそよぐ木々の軽やかなざわめき、少し前から彼に希望を抱かせてくれているいくつかの理由[主題]がすべて合わさり、彼の心に不慣れな平安をもたらし、彼の考えに明るくのどかな色合いを加える。しかし、彼女が再び現われ、彼の心は締めつけられ、辛い予感が彼を突き動かす。もしも、彼女に捨てられたら…… 1人の羊飼いがまた素朴な旋律を吹く。もう1人は、もはや答えない。日が沈む…… 遠くの雷鳴…… 孤独…… 静寂……
冒頭、コーラングレ(イングリッシュホルン)が問いかけるように牧歌的な短い旋律を奏でます。
それに答えるかのように遠くから風に乗って運ばれてきたかのようなオーボエの音が聴こえて来ます。
オーボエの楽譜には「derrière la scène」つまり舞台裏で吹くように指示されています。(譜例⑤)
プログラム・ノートによればコーラングレとオーボエが奏でているのは「ランツ・デ・ヴァッシュ」(Ranz des vaches)で、2人の羊飼いが吹き鳴らす牧歌の二重奏だとのことです。
「ランツ・デ・ヴァッシュ」(Ranz des vaches)とはアルプス地方の牧歌、牛追い歌のことで、youtubeにアルプホルン(アルペンホルン)で「ランツ・デ・ヴァッシュ」を奏でる様子がアップされていましたのでご紹介しておきます。
舞台上のコーラングレと、舞台外のオーボエが奏でる牧歌の二重奏は、アルプスの山々で遠く離れた2人の羊飼いが互いに笛でこの「ランツ・デ・ヴァッシュ」を吹きかわしているかのような立体的な空間を造り上げています。
交響曲にこうした手法を取り入れたのは当時としては極めて斬新と言えるでしょう。
またベルリオーズが生まれたフランス南部にあるイゼール県のラ・コート=サンタンドレ(La Côte-Saint-André)はアルプスの山々にも近い場所で、こうした音楽はベルリオーズ自身の原風景とも言える音楽であったのかも知れませんね。
静かに穏やかな時間が流れるように音楽は進みますが、ここでも心のざわつきを表すかのような弦楽器の旋律の中に、「イデー・フィクス」が彼女の幻影が姿を現すかのように挿入されます(譜例⑥)
若き芸術家の心のざわつきが高まるように音楽は高揚していきますが、やがて再び落ち着きを取り戻します。
最後は再び冒頭の主題を問いかけるような口調でコーラングレが奏でます。
しかし、そこにはそれに答えるオーボエの姿はなく、やがてやってくる不吉な何かを感じさせるようなティンパニの響きがあるのみです。
コーラングレの寂しげな響きは、答えてくれる人がいない若き芸術家の孤独を表現しているようにも感じ、ティンパニの響きは轟く遠雷のようにも感じます。
漠然とした寂寥感と不安を残しながら第3楽章は静かに終わりを告げます。
第4楽章「断頭台への行進」(Marche au supplice)
彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる
恋に絶望した若き芸術家はアヘンを吸って服毒自殺を図り、夢の中で愛する人を殺して死刑を宣告され、断頭台へ連れていかれる場面が行進曲として描かれています。
第3楽章の最後に奏でられたティンパニの遠雷は、来るべき不幸な結末の予兆だったのです。
断頭台をぐるりと取り囲む群衆が踏み鳴らす地響きのようなティンパニの連打の上に、行進曲の主題の断片が奏でられます。
やがて芸術家を断頭台へと導く行列が行進するかのように、勇ましい行進曲の主題が管楽器によって奏でられます。(譜例⑦)
音楽は前へ前へと進むような印章的な付点のリズムを伴いながら高揚し、いよいよクライマックスを迎えようかと言うところで、クラリネットのソロで「イデー・フィクス」が奏でられます。
それは死の間際にもう一度脳裏をよぎった愛する彼女の姿ですが、その想いを断ち切るかのように打撃音と共にギロチンが慈悲なく落とされます。(譜例⑧)
この強奏(青枠部分)に続く弦楽器のピチカート(弦を指ではじく)が転がり落ちる首を表現しているようにも感じます。(譜例⑧-2)
音楽は処刑に沸く群衆を表すかのように高らかなファンファーレで締めくくられます。
フランス革命によりルイ16世と王妃マリー・アントワネットがギロチンにより処刑されたのは1793年、この作品が作曲される37年前のこと。当時はまだ記憶にある人もいたことでしょう。
そう思うと相当センセーショナルな音楽であったように思いませんか?
第5楽章「サバトの夜の夢」(Songe d’une nuit du Sabbat)
彼はサバト(魔女の饗宴)に自分を見出す。彼の周りには亡霊、魔法使い、あらゆる種類の化け物からなるぞっとするような一団が、彼の葬儀のために集まっている。奇怪な音、うめき声、ケタケタ笑う声、遠くの叫び声に他の叫びが応えるようだ。愛する旋律が再び現われる。しかしそれはかつての気品とつつしみを失っている。もはや醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏の旋律に過ぎない。彼女がサバトにやってきたのだ…… 彼女の到着にあがる歓喜のわめき声…… 彼女が悪魔の大饗宴に加わる…… 弔鐘、滑稽な怒りの日のパロディ。サバトのロンド。サバトのロンドと怒りの日がいっしょくたに。
終楽章はまだ悪夢の霧の中を彷徨っているかのような不気味な響きで幕を開けます。
木管楽器が奇妙な声を上げながらオクターブ下がる場面や、弦楽器が半音階を刻みながら降りていく場面は、処刑された芸術家が奈落の底へ堕ちていくような雰囲気を感じます。
クラリネットのソロが奏でる「イデー・フィクス」はサバト(魔女の饗宴)にやってきた自分が殺した愛する女性を表していますが、その姿はすっかり変わり果ててしまい、奇妙でグロテスクなものになっていました。(譜例⑨)
この「イデー・フィクス」はE♭管クラリネットでさらに高い音域で繰り返され、そこにピッコロが重なることでさらに奇怪な響きと雰囲気を醸し出しています。
旋律の中に多用されるトリルは変わり果てた彼女がケタケタと笑っているかのようです。
魔女の饗宴がはじまり、愛する彼女が変わり果てて狂ってしまったのか、はたまた狂っているのは自分自身なのか、わからなくなるような中、ようやく訪れた静寂を破るように死者を弔う鐘の音が響き渡ります。
ここで低音の管楽器が地の底を這うようにして奏でるのは、死者のためのミサで用いられる「怒りの日」です。(譜例⑩)
「怒りの日」とは死者のためのミサ、つまり「レクイエム」を構成する式次第の一つで、モーツァルトもヴェルディも、その「レクイエム」の中で曲を付けています。
ベルリオーズはここで古くから伝えられてきた「グレゴリオ聖歌」の中にある「怒りの日」を引用することで、聴衆に余計な説明をせずとも「死」のイメージを伝えることを可能にしています。(譜例⑪)
さらにこの旋律をファゴットとオフィクレイドに演奏させることによって、地の底から鳴り響いているような不気味な雰囲気を醸し出しています。
オフィクレイドはこの作品が作曲された19世紀の前半に考案された低音金管楽器ですが、その後廃れてしまい、現在はチューバで演奏されることが一般的です。
狂乱の饗宴は激しさを増し「サバトのロンド」へと移行します。
木管楽器が再びどこかへ堕ちていくような旋律を奏で、様々なモチーフがいびつに形を変えて入り乱れます。
最後は「怒りの日」が堂々と奏でられ、弦楽器が弦を弓の棹で叩くコル・レーニョ奏法でカチカチと奇怪な音を立てる中、金管楽器が咆哮し、熱狂の内に幕を下ろします。
※終楽章の日本語訳には「魔女の夜宴の夢」「ワルプルギスの夜の夢」など複数の表記が見られます。
ベルリオーズ「幻想交響曲」youtube動画
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
第1楽章(00:13)
第2楽章(14:32)
第3楽章(21:26)
第4楽章(38:10)
第5楽章(43:05)
ミッコ・フランク指揮:フランス放送フィルハーモニー管弦楽団
ベルリオーズ「幻想交響曲」おすすめの名盤
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ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ管弦楽団
録音:1967年
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フランスものを得意としたシャルル・ミュンシュの録音の中でもひと際評価の高い録音です。
収録された1967年はパリ管弦楽団がその前身となるパリ音楽院管弦楽団が発展的に解消し結成された年で、ミュンシュのパリ管最初の録音でもあります。
録音も古く、少々荒々しい響きがある面も感じますが、ベルリオーズが内包する熱と狂気を感じさせる名演です。
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この中では「アンドレ・クリュイタンス&フィルハーモニア管」盤も1958年と古い録音ですが、引き締まったオケの響きがいい感じです。終楽章の鐘の音はもう少し聴こえてきても良いかも?
「カラヤン&ベルリン・フィル」盤は好みの分かれる録音かも知れませんが、個人的には「有り」かと思っています。
ややデフォルメされた感がなくもありませんが、そこはいつものカラヤン節!
音価一杯に引っ張ったフレージングとカラヤンならではの音響効果を駆使した録音も魅力です。
お腹に響くティンパニや金管楽器の響き、終楽章の鐘は別録りしたもののようですが、残響の多い教会の響きを立体的に感じられ、ライブとはまた違った録音ならではのスケールの大きさを感じることが出来ます。
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まとめ
ベルリオーズ作曲の「幻想交響曲」、いかがでしたでしょうか?
ベルリオーズはこの作品の中で、交響曲に文章と言ったハッキリした形でタイトルやストーリーを付け、作曲技法に関しても舞台外に配置したオーボエや、ハープ、コルネット、オフィクレイドや鐘など、それまで交響曲にはあまり使われてこなかった楽器を導入するなど様々な実験的試みをしています。
演奏技法に関しても弦楽器のコル・レーニョ奏法や木管楽器のポルタメントなど特殊奏法も含め、実に細かな指示をしています。
そして何より「イデー・フィクス」と名付けた主題に彼が愛した女性をなぞらえることによって、全楽曲に統一したストリーを持たせることに成功しています。
こうしたベルリオーズの革新的な試みは後世の作曲家に多大な影響を与えました。
ベルリオーズの恋愛遍歴を見る限り、彼の恋愛に関する思考はかなり衝動的で、ある種の強い思い込みと執着心を感じずにはいられません。
現代に生きていたらもしかすると新聞記事になっていたかも知れませんね?(笑)
しかし作曲の背景でも触れたように、ベルリオーズがこの作品を書いた時には、既に彼は新しい恋をしていました。
ベルリオーズのスミスソンに対する憎悪と紙一重の愛情と執着心が、この作品のペンを取らせたと言う説がある一方、彼がこうしたスキャンダラスな要素をすべて計算に入れた上で、交響曲の中に取り入れたとする説もあります。
確かにベルリオーズはまだまだ無名の作曲家で、対して相手のスミスソンは有名劇団の女優です。
作品を公表する前から、スキャンダラスなストーリーを公表し、世間の関心を集めるための戦略、ひどい言い方をすると売名行為であったと見る向きもあります。
しかし、そう考えるにはどうしても不自然な点があります。
それは作曲の背景の中で触れたこのストーリーの中で一番スキャンダラスでドラマティックな部分、若き芸術家がアヘンを使って自殺すると言う部分、そして愛する彼女を殺害する部分が音楽としてまったく描かれていないと言うことです。
本来この部分はストーリー的には第3楽章と第4楽章の間にあっても良いはずですが、実際の作品の中では省略され、第3楽章では彼女の幻影を追い求めながら孤独と漠然とした寂寥感を感じる若き芸術家は、第4楽章では薄れ行く意識の中で夢を見、死刑判決を受けて断頭台に連れていかれるのです。
もしベルリオーズが世間の耳目を集めることが目的でこうしたストーリーを付けたのであれば、この一番衝撃的なシーンをきっと音楽にしたことでしょう。
ではなぜその部分を描写しなかったのでしょうか?
愛する人を殺そうとする場面を想像するだけで、その手が震えてしまったのか?ベルリオーズだけが心の奥にしまった別の楽章が存在するのか?はたまた何か別の理由があるのか?
そんなことに想いを巡らせながらこの作品を楽しむのも面白いのではないでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございます。こちらの作品もぜひ聴いてみてください!
リムスキー=コルサコフが描く美しい「アラビアン・ナイト」の世界!
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参考資料:後藤真理子監修「大人の観劇クラシック音楽ガイド」成美堂出版