モーツァルト オーボエ協奏曲

作曲の背景

今回ご紹介するのはオーストリアの作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したオーボエ協奏曲です。

1920年、指揮者で音楽学者としても知られていたベルンハルト・パウムガルトナーは、ザルツブルク・モーツァルテウム大学で古い筆写譜を発見します。

その楽譜はモーツァルト作のオーボエ協奏曲のパート譜で、分析の結果これを18世紀に筆写されたものだと判断しました。
(パウムガルトナーは長年にわたってザルツブルク・モーツァルテウム大学の学長を務めています。)

そしてこの筆写譜は調性こそ違うもののモーツァルトのフルート協奏曲第2番として既に広く知られていた作品そのものでした。

モーツァルトと父レオポルトとの間で交わされた書簡などから、モーツァルトが世に知られたオーボエ協奏曲を作曲していたというのは判明していたのですが楽譜は残っておらず、長い間行方不明の作品として忘れ去られていました。

父と交わした書簡の内容は「フェルレンディス(ザルツブルクの宮廷オーケストラのオーボエ奏者)のために書いたオーボエ協奏曲をラム(マンハイムの宮廷オーケストラのオーボエ奏者)が既に5回も演奏をして好評を博している。」といったものです。

モーツァルトは1777年の10月から1778年の3月までマンハイムに滞在しており、上記の内容の手紙を1778年の2月に父親宛てに送っているのです。

こうしたことから1777年作と思われる既に世に知られたオーボエ協奏曲が当時存在していたと言うことがわかります。

フルート協奏曲第2番の記事でもご紹介しましたが、遺されたモーツァルトの書簡には「フルート愛好家のド・ジャンから3曲のフルート協奏曲と2~3曲の四重奏曲の依頼を受けたこと」「報酬が当初の約束200フローリンの半分以下の96フローリンしか支払われなかったこと」と言う旨の記述があります。

この時モーツァルトが書いたのは2曲のフルート協奏曲と3曲の四重奏曲、そしてこの書簡を送っているのも上記のマンハイム滞在期間です。

パウムガルトナーはこれらのことから「フェルレンディスのために書いたオーボエ協奏曲がハ長調のオーボエ協奏曲」「この作品をニ長調に書き換えたものがフルート協奏曲第2番」「報酬が大幅に減らされたのは依頼した3曲のフルート協奏曲が結果2曲であり、しかも1曲は既に知られたオーボエ協奏曲の書き換えだったため。」と結論付けました。

もちろん高名な音楽学者で指揮者であったパウムガルトナーはこうした資料的側面の分析だけでなく、楽曲分析の音楽的なアプローチからもそのように結論付けたようです。

研究の結果を踏まえてこの作品は1949年にようやくオーボエ協奏曲として出版されることになります。

このような経緯からモーツァルトのオーボエ協奏曲として演奏され出したのは20世紀も半ばを迎えるころからのことでした。

モーツァルトの作品目録であるケッヘル番号はフルート協奏曲第2番と同じ「K.314」が割り振られています。

フルート協奏曲第2番の記事でも触れましたが、音楽学者の中にはこの説に異議を唱える方もおり、フェルレンディスのために書いたオーボエ協奏曲は別に存在すると主張する方もいます。

真相はモーツァルトのみが知るところですが、もし「モーツァルト作の新しいオーボエ協奏曲の楽譜が発見!」と言うことにでもなったら・・・考えただけでワクワクしませんか?

今回は少し難しいお話になりましたが、音楽を楽しむ分にはあまり考えすぎずに気軽に次の動画をお楽しみください。

動画の視聴が終わりましたら、フルート協奏曲第2番の方も是非聴いてみてくださいね!

オーボエとフルートの独奏箇所や音色の違い、ハ長調とニ長調の雰囲気の違いなどなど聴き比べてみるのも楽しいかも?

全曲版を聴いてみよう!

モーツァルト オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314
第1楽章 Allegro aperto (00:40)
第2楽章 Adagio non troppo(08:00)
第3楽章 Allegretto(15:33)

アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮 hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団)

オーボエ フランソワ・ルルー

フランソワ・ルルーさんは1971年生まれ、フランス出身のオーボエ奏者です。

パリ・オペラ座管弦楽団、バイエルン放送交響楽団を経て、現在はソロや室内楽をはじめ指揮など幅広い活躍をされています。

こちらの記事の動画では指揮者としてのフランソワ・ルルーさんがご覧になれます。

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