シューマン「幻想曲」【解説と無料楽譜】
目次
作曲の背景
幻想曲 ハ長調 作品17はドイツの作曲家、ロベルト・シューマン(1810-1856)が1838年に書き上げたピアノのための作品です。
幻想曲(独:Fantasie, Phantasie)とは自由な形式で書かれた器楽作品を指し、やや即興的内容を持つものから厳格な形式によって書かれたものまで多岐に渡ります。
1835年、ベートーヴェンの生誕地であるボンにベートーヴェンの記念碑を建立する計画が立てられ、資金調達のための寄付が音楽出版社などに幅広く呼びかけられました。
その趣旨に賛同したシューマンが楽譜を販売した収益を寄付することを目的に作曲されたのが、今回ご紹介する幻想曲です。
この頃シューマンはピアノの師であったフリードリヒ・ヴィークの娘、クララ・ヴィーク(後のクララ・シューマン)と恋愛関係に陥りますが、この恋愛はすぐに師フリードリヒ・ヴィークの知るところとなり、猛反対するこの父はあらゆる手段で二人を引き離そうと画策するようになります。
幼い頃から手塩にかけてピアノを教え、既に天才ピアニストとして世に名を知られ、これからさらに羽ばたこうと言う16歳のクララと駆け出しの作曲家のシューマンの恋は許せなかったのかも知れませんね。
こうした中で作曲されたこの作品にはベートーヴェンの作品が引用されている一方、早くから作曲も行っていたクララの作品も引用され、クララへ向けた愛のメッセージが感じ取れる作品となっています。
この作品は当初「フロレスタンとオイゼビウスによる大ソナタ」と題されていましたが、この「フロレスタンとオイゼビウス」はシューマンが1834年に創刊した「新音楽時報(音楽新報)」の中で作品を評論するためにシューマン自身が作り出した架空の人物で、明るく華やかで情熱的な「フロレスタン」と物静かで冷静な性格の「オイゼビウス」と言う対照的なの2つの性格を持つ人物がそれぞれの立場で対話しながら評論を展開していくと言う独創的なものでした。
この2つのキャラクターはシューマン自身が持つ性格の二面性を表しているとも言われ、この幻想曲の中でもフロレスタン的な曲想とオイゼビウス的な曲想の対照的な2つの曲想を聴くことが出来ます。
またもう一つには、ベートーヴェンの記念碑建立のために書かれた作品であり、歌曲を引用しつつベートーヴェンへのオマージュとも言える内容になっている側面と、父親からの強い反対にあいながらも、その障壁を乗り越えて愛を貫くクララの作品を引用し、彼女への強いメッセージを込めた作品になっていると言う二面性を上げることが出来るように思います。
この「フロレスタンとオイゼビウス」の2つのキャラクターはシューマンが同時期に作曲したピアノ曲集「ダヴィッド同盟舞曲集」など他の作品の中にも現れます。
しかし、この「フロレスタンとオイゼビウスによる大ソナタ」のタイトルと各楽章に付けられた表題は結局使われることはなく、代わりに「幻想曲」のタイトルと第1楽章の冒頭にはドイツの詩人、フリードリヒ・シュレーゲル(1772-1829)が書いた詩の一節が書き込まれました。
Durch alle Töne tönet
引用:幻想曲 (シューマン)/フリー百科事典『ウィキペディア』
Im bunten Erdentraum
Ein leiser Tone gezogen
Für den, der heimlich lauschet.
鳴り響くあらゆる音を貫いて
色様々な大地の夢の中に
ひとつのかすかな調べが聞こえる、
密やかに耳を傾ける人のために。
鳴り響くあらゆる音を貫いて聴こえてくる「かすかな調べ」とは、実際に作品の中に込められた「調べ」なのか、あらゆる障壁を乗り越えて到達する真の愛を暗示したクララへのメッセージなのか・・・聴く人の想像を掻き立ててなりません。
作品は1839年に出版され、同じくベートーヴェンの記念碑の建立に大きく寄与したフランツ・リストに献呈されました。
ベートーヴェンの記念碑はその後完成され、生誕75年に当たる1845年8月になってようやく除幕式を迎えますが、そこにシューマンの姿はありませんでした。
シューマン「幻想曲」の解説
第1楽章:Durchaus fantastisch und leidenschaftlich vorzutragen
「どこまでも幻想的かつ情熱的に」と記された冒頭部分、波打つような華やかな16分音符の調べに乗って奏でられる力強い下行音型の第1主題はシューマンが恋するクララが12歳の時に作曲したピアノ曲「ワルツ形式によるカプリッチョ 作品2」の第7曲の一節に基づいています。
幻想曲の楽譜の冒頭部分と引用されたクララの作品の該当部分、音源を掲げておきますので聴き比べてみて下さい。(譜例①、②)
クララ・ヴィーク:「ワルツ形式によるカプリッチョ」第7曲
ピアノ:Susanne Grutzmann
※譜例②の引用箇所は(00:41)
幻想曲の方ではかなり劇的にアレンジされていますし、ただの下行音型なので偶然の一致の様にも思えますが、このモチーフはシューマンが1835年に作曲したピアノソナタ第3番ヘ短調作品14の第3楽章の主題としても使われており、そこには「Quasi Variazoni, Andantino de Clara Wieck」、つまり「クララ・ヴィークの主題による変奏曲」であることがはっきりと記されています。(譜例③)
この主題に続き、ベートーヴェンの歌曲「遥かなる恋人に」作品98の一節が引用されます。(譜例④、⑤)
ベートーヴェンが作曲した6曲から成るこの「遥かなる恋人に」の歌詞の内容は、遠く離れた地にいる恋人へ寄せた青年の熱い想いを連綿と歌ったもので、ベートーヴェンへのオマージュとして引用されていると共にクララの父の反対によって引き離されたシューマンの熱い想いを重ねているように感じられます。
音楽が展開されていく中でクララの主題が形を変えながら、時には力強いフロレスタン的に、時にはそっと優しく物静かなオイゼビウス的に奏でられます。
途中「Im Legendenton(昔語りの調子で)」の指示があり、情熱的な部分は影を潜め、短調に転じ物静かに語られますが、再び元のテンポに戻りドラマティックに展開された後、最後にベートーヴェンの主題が静かに奏でられた後、夢見るように美しく終曲します。
第2楽章:Mäßig. Durchaus energisch
「中庸の速さで、どこまでも精力的に」と指示された第2楽章冒頭はオペラの序曲を想わせるような華やかで輝かしいフロレスタン的なロンド主題で始まります。(譜例⑥)
それに続く躍動感あふれる自由な雰囲気が溢れる付点のリズムの旋律は、ジャズなどが生まれるずいぶん前の作品にも関わらず、私には少しスウィングしているかのようにも聴こえます。
この付点のリズムの旋律が高揚しきると、冒頭の華やかなロンド主題に戻り、その後テンポを落とし昔を懐かしんでいるかのような物静かな旋律を挿み、再び付点のリズムが躍動します。
曲は再度ロンド主題を回帰し、最後は終始付点のリズムを奏でながらテンポを速め、華やかに終曲します。
第2楽章には当初「凱旋門」と言う表題が付けられていました。それは周囲の反対にも負けずに勝ち取ったクララとの愛を暗示しているようにも感じます。
第3楽章:Langsam getragen. Durchweg leise zu halten
「ゆっくり遅く。常に静けさを保って」と指示された第3楽章は、それまでの楽章が様々なキャラクターを示しつつも全体的には情熱的なフロレスタン風であるのとは対照的に静かで穏やかなオイゼビウス的な雰囲気に包まれた楽章です。
夢見るような美しい序奏に続き、心に染み入るような穏やかな第1主題が奏でられますが、その裏では「クララの主題」が密やかに響いています。(譜例⑦)
これも作品のモットーとして書き込まれた「かすかな調べ」のひとつなのでしょうか。
まどろみの中で聴いているかのような美しい時間が流れた後、転調した序奏を挿み、愛する女性に軽く胸を叩かれているかのような第2主題が奏でられます。(譜例⑧)
曲はこの2つの主題と「クララの主題」が絡み合いながら美しく展開されていき、最後は美しさの中にも芯を感じるアルペジオ(分散和音)を奏でながら静かに終曲します。
「フロレスタンとオイゼビウス」と言うキャラクターの二面性、曲のあちらこちらに隠された「クララの主題」を通したシューマンの想い、そしてベートーヴェンへのオマージュ、それらに想いを馳せながら楽曲の冒頭に引用された詩の中にある「かすかな調べ」を注意深く聴いてみるのも面白いかも知れませんね。
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シューマン「幻想曲」のyoutube動画
シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17
第1楽章(00:15)
第2楽章(13:17)
第3楽章(20:25)
ピアノ:Alexandre Moutouzkine
ルービンシュタイン国際ピアノ・コンクール2011より
シューマン「幻想曲」の無料楽譜
シューマン「幻想曲 ハ長調 作品17」の無料楽譜(IMSLP)
上記のリンク先から無料楽譜をダウンロード出来ます。ご利用方法がわからない方は下記の記事を参考にしてください。
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参考:吉村哲著「ベートーヴェンの歌曲研究―連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって―」盛岡大学短期大学部紀要 第24巻
岩佐明子著『R. シューマン作曲前期作品の特徴から見た「幻想曲 ハ長調 作品 17」の演奏解釈に関する一考察』